キエコ様









失ったものの価値










今日こそは、と決意していた。
 何度もそう思い、そして彼女の笑顔を見てその決意を鈍らす。
 それを何回繰り返しただろう。
 私らしくない。
 こんな風に熱くなることも、臆病になることも。余裕なく一人の人を追いかけることも。
 ―――神子と八葉という立場でなかったら、こんな気持ちになることもなかったのだろうか?
 
シャランシャラン―――。

澄んだ鈴の音とともに、胸の痛みが消えていく。
癒される、とは違う感覚に、本能的に危機感を抱いた。
しかし、圧倒的な力に抵抗など無に等しい。
その力によって、胸の苦しみも―――そして熱までもが消え去った。



ゴトンゴトンという牛車の揺れに、はっと目が覚めた。
 眠っているつもりはなかったのに、意識が遠のいていたようだ。
「疲れているのかな」
 苦笑しつつも呟けば、微かに笑う声が聞こえた。邪気は感じられないが、癇に障る嫌な笑い方だった。
「気に入らないな」
「友雅様、いかがされましたか?」
 外から掛けられた従者の声に「なんでもないよ」と答えた。しかし、ふと疑問に思った。
「ときに、一体どこへ向かっているんだい?」
「え?! いつもの通り土御門ですが……」
「あぁ、藤姫に会いに行くのだったかな」
「いえ、あの。神子様にではないのですか?」
「―――ふむ。誰だいそれは?」



「神子さま〜!!」
 悲鳴に近い声で自分を探し回る藤姫の声に、庭に出ていたあかねは屋敷へと戻った。
「どうしたの? 藤姫」
 彼のそばにいたい、と元の世界に戻らなかったあかねは、藤姫の希望もあり土御門で生活をしていた。
「と、友雅殿が!!」
「友雅さんに何かあったの?!」
 藤姫から告げられた名前に驚き、あかねは慌てて駆け寄った。しかし、その後ろから歩いてくる彼の人姿に、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。無事だったんですね、友雅さん」
「さぁ、どうかな?」
 まるで他人事のように笑う友雅に、え? と首をかしげた。
 そんなあかねを上から下までゆっくりと眺め、藤姫にチラリと視線を流す。その視線の先で、藤姫は大きく頷いていた。
 そんなやり取りを不思議に思っていたあかねに、友雅は更に驚くことを口にした。
「もしかして、君が龍神の神子なのかい? ―――ふむ、もっと大人の女性なのかと想像していたが。これはまた、可愛らしい神子じゃないか」
「友雅殿! 失礼なことを言わないでください」
「仕方ないだろう? まったく覚えていないのだから」
 重苦しく神妙な表情の藤姫、そして本当ならもっと深刻な顔をしているべき友雅は、どこかこの状況を楽しんでいるかのように笑っていた。
「記憶喪失なんて、滅多に体験できることじゃないからね、少しは楽しまなくては」
「友雅さんっ」
「怒っても可愛いね。でも、そうだろう? たかが半年記憶をなくしたからと言って、たいしたことじゃないよ。生きていくのに支障はないんだから」
 そう言った途端、大きく見開かれたあかねの目に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
 その劇的な変化に、友雅は自分の失言のフォローも忘れて見入ってしまった。
「神子さまっ」
 藤姫の止める声も聞かず、あかねは屋敷を飛び出して行ってしまった。
「何てことをおっしゃるんですか、友雅殿」
「事実だろう?」
 処世術も武術も忘れてしまったわけではない。たかが半年の間何をしていたのかわからないというだけ。
 何事にも執着しない友雅にしてみれば、そう思うのは当然だった。
「いいえ、違いますわ」
 きっぱりとそう言い切る藤姫の姿に、友雅は違和感を覚えた。
 大人びているが、まだ幼く、守ってやらねばならない存在だと、少なからず思っていた。
しかし、どうだろう。この威厳に満ちた姿。
確かに、半年という歳月が過ぎているのだと友雅は実感した。
「神子さまを失って、生きていくなどできないと、以前あなたはおっしゃいました。だからこそ、神子さまは元の世界にお戻りにならなかったのです」
「まさか」
 去り行く女性に縋る自分の姿など、想像もできない。
 一蹴した友雅は、涙を浮かべたあかねの姿を思い出していた。
 女の涙ほどわずらわしいものはないのに、零れそうだった涙を美しいと感じた。触れるのをためらってしまうほど。
「お話中失礼します。こちらに、橘少将殿がお見えですか?」
「あぁ、いるが」
 返事をすると、弥生という顔見知りの女房だった。
「これを・・・」と文箱を差し出され、友雅は訝しげな顔で見返した。
「なんだい、これは?」
「神子さまへの文にございます」
「私が彼女への宛てた文を見て、思い出せとでもおっしゃるのかな?」
 皮肉交じりに聞き返すと、弥生はにこやかに笑って「いいえ」と否定した。
 一体、何なのかと友雅は文箱の手紙を一通開いた。
「これは・・・・・・恋文?」
「はい。以前、友雅様から見知らぬものからの神子さまへの文は、差し止めておくように言いつけられましたので」
 文箱に入っていたのは、いずれもあかねへの文だった。季節の挨拶文から、身を焦がすような想いを語る恋文まで。
 どれも、あかねへの興味と好意が感じられた。
「ふぅん……」
 不愉快だな。
 持っていた文を粗雑に文箱へ戻すと、弥生はくすくすと笑い声をもらした。
「記憶がない、とおっしゃられても、覚えておいでなのですね」
「本当ですわね」
「やれやれ、二人とも彼女の味方のようだね。仕方ない、ではその神子殿と少し話でもしてこようかな」
「それがよろしいですわ」
 晴れやかな笑顔を浮かべた藤姫と弥生に見送られ、友雅は神子を追いかけることにした。



「そうですか、友雅殿がそのような…」
「もう、私どうしていいのか」
 屋敷を飛び出し、なんとなく双ヶ丘に足が向いていたあかねは、朱雀門の近くで鷹道と出会った。泣いているところを見咎められ、友雅のことを話してしまった。
「友雅さん、最近様子がおかしかったんです。何か言いたそうにしてたのは、もしかして……」
「神子殿」
 いつになく落ち込んでいるあかねの姿に、鷹道は戸惑ってしまう。
 あかねはいつも前向きで、笑顔が耐えない女性だと思っていた。もちろん、そればかりではないだろうが、それでもこれほど落ち込んでいる姿をさらすのは珍しい。
「―――数日前、友雅殿と話をしましが、そんなことは一言も言っていませんでしたよ。だから、そんなに落ち込まないでください。神子殿が感じたように、悩んでいる様子でしたが、それは……」
「知ってるんですか?! その理由を」
「やはり、余計なお世話になってしまいますし。こういうことは、友雅殿の口からの方が…」
 こほん、と一つ咳払いをした鷹道の顔は、若干赤くなっていた。
 けれど、あかねはそのことに気がつく余裕がない。「鷹道さん」と悲痛な声で呼ばれ、話してしまおうかと鷹道は迷った。
「こんなところにいたのかい、神子殿」
「友雅殿」
 明らかに助かったという表情を浮かべる鷹道を、友雅は一瞥した。しかし、それ以上は何も言おうとせず、じっとあかねを見つめていた。
「友雅さん? どうしたんですか?」
「……いや、なんでもないよ」
 そうは言ったものの、友雅は動揺していた。
 鷹道とあかねが一緒にいるところを見て、先程の文以上にムッとしている自分がいた。名前も知らない文なんかとは違う。
「不機嫌そうですね、友雅殿。私はお邪魔でしょうか?」
「そんなことはないよ。何を根拠にそんなことを言うのか、是非聞いてみたいね」
 自分らしくないとわかっていた。だから、認めるのは嫌で悪あがきをした。
 この幼い少女に、自分じゃどうしようもないくらい焦がれているなんて。無様に嫉妬して、彼女を誰にも見せたくないと思ってしまう。―――そんな情熱がまだ私に残っていたのか。
「『かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを』と、伝えたとしたらどうしますか?」
『こんなに思っているといえないのだから、あなたは知らない。この燃えるような思いを』
 チラリと流された視線が、あかねを指していた。
「!! 君がそんな色っぽい歌を読めるとは、ね」
 その瞬間、自分でも信じられないくらい、カッと胸を突き上げるものがあった。
 驚き、怒り……そしてなにより、焦り。
 誰にも渡したくない。どんなことがあっても、彼女を離さない。―――離せない。
『それでいい。いつまでも愚図愚図するな、情けない』
 友雅の耳に突然そんな声が届いた。そして、澄んだ鈴の音が…。
 
シャランシャラン―――。

「え? 龍神さま?」
 その瞬間、友雅はクラリと眩暈を感じた。目を閉じて眩暈が治まるのを待つ。しばらくして目を開けると、心配そうな顔をしたあかねが見えた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、もう平気だよ、あかね。場所を変えて少し話をしようか」
「あ……」
 神子、ではなく名前を呼んでくれたことに気がつき、あかねはふわりと嬉しそうに笑って頷いた。
「鷹道、話は後ほどね」
「冗談ですよ」
 そう言って鷹道はにっこりと食えない笑みを浮かべた。
 それが本当に冗談だったのかどうかは、友雅にはわからない。けれど、もしそうだったとしても、鷹道がそれを伝えることがないというのはわかった。
 だとしたら、気付かないフリをするのが礼儀。
「そうかい? それなら忘れるとしよう。今日は大事な日だからね」
「あぁ、決意が固まったのですね。頑張ってください」



 友雅はあかねを連れて双ヶ丘に向かった。
「泣かせてしまったみたいだね」
 涙で赤くなったあかねの目を見て、友雅は呟いた。
 できることなら、数分前の自分を殴り倒してやりたいくらいだった。失った記憶の価値もわからず、余裕のあるフリを続けていた馬鹿な自分を。
「いいんです。それより、もしかして龍神さまのせいだったんですか?」
「あぁ、多分ね。声が聞こえたよ」
「え? なんて言ってたんですか?」
『いつまでも愚図愚図するな、情けない』と言われたなんて、誰が言えるんだ。
 友雅は「さぁ?」と曖昧に誤魔化した。不思議そうな顔をするあかねの頬を、友雅は優しく包み込む。
「ずっと言おうと思ってたんだ。けど、あかねの顔を見るたびに、本当にそれでいいのかと考えてしまって……」
「友雅さん?」
「私が情けなく縋ったから、あかね京に残ってくれた。けれど、本当によかったんだろうか? それで、あかねは幸せになれるんだろうか?」
 ずっと胸にしまっていた疑問を友雅は呟いていた。
 その言葉に、あかねは大きく目を見開いた。
「らしくない、だろう? そんなことを考えて愚図愚図していたから、龍神に発破をかけられたんだ」
「―――元の世界に帰れと言うんですか?」
「まさか。貴方を失って生きていくことなどできないと、前にも言ったはずだろう。もし、帰ると言われても、今はもう離してあげられないよ」
「友雅さん!!」
 瞳を潤ませて胸の中に飛び込んでくる愛しい人を抱きしめた。そのまま耳に唇を寄せて、ずっと言えなかった言葉を囁いた。

「一緒に暮らそう。私の腕の中で目覚めて、私の帰りを待って。一日中私のことだけを考えていて欲しい」

 感極まってうかつにも簡単に頷いてしまったあかねが、友雅の言葉が本気だったことを実感するのは、もう少し先のこと。
『私の腕の中で目覚め』
『私の帰りを待って』
『一日中私のことだけを考えていて』
 そうせざるを得ないように、あらゆる手段を講じて屋敷に閉じ込める友雅を見て、あかねを取られてしまった藤姫は「大人げない」と呆れたとか、罵倒したとか……。









キエコさん!ありがとうございました。
えへへ〜。ねだってきた甲斐があったというものですわ♪
やっぱり友雅さんは、記憶を失ってもちゃーんとあかねちゃんのことを覚えているんですね!
そりゃーそうですとも、あかねちゃんは友雅さんの『全て』ですもの!えぇ!もう!(興奮気味)
本当に、ありがとうございました。有り難く頂戴致しますvv

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