| 橘 深見 様 |
−深紅の誘惑− 「ちょいと!そこのお兄さん!」 まだうっすらと茜色を残している夕方の空の下、土曜日の商店街を何処へ行くともなくフラフラと歩く長身の男―橘友雅に、何処かから誰かが声を掛けた。 「そんなシケタ面してちゃイイ男が台無しだよ〜。ウチの店のもん食って元気だしな!」 声のしたほうに振り返ると、大根、人参、キャベツ、ピーマン、レタスからオレンジスイカにメロンまである青果店が目に入った。 「野菜は大事だよ〜。今の若いモンは肉ばっかり食ってるからいけないんだよ。やる気がでないとかなんとかさぁ。あたしの店の野菜を食えばそんなもんたちまち吹っ飛んぢまうっていうんだ。今日のオススメはトマトだねトマト。昨日テレビでリコピンがどうのこうのって言ってたからね。い〜いのを仕入れて置いたんだよ。ここのトマト農家さんはね、夫婦二人で細々とやってるんだけどそりゃあいいのを作ってくれるんだよ。普通は滅多に店に並ぶことが無いんだけど、あたしの旦那とそこの夫婦が知り合いでね。時々卸してくれるんだよ。ウチの店の自慢っていうのが作った人の顔と名前がはっきりしてる人のしか仕入れてないってことだね。そりゃあもう品質には自信があるさ。なんたってこのあたし自ら制作者のとこに行ってこの目で納得したものしか契約しないんだから。そこの椎茸なんてね …」 これ以上捕まっていたらいつまでたっても帰れない。 「じゃあそのトマトをひとついただきますよ。」 なるべく引き釣らないよいにいつもの笑みを浮かべて言う。 「はいはい!トマトね。ひとつだなんて言わずにヒトカゴ買ってきなよ〜。そりゃあ元気になれるよ。まあ無理はいわないさ。でも兄ちゃんいい男だからおまけしておくよ。」 そういいながら手際よくトマトを二つ袋にいれ、お代を払うとさっと渡してくれた。眩しいばかりに赤く色付いたトマト。 「トマトはね。そのままで食べるのもいいけど湯剥きしてもいいよ。湯剥きって知ってるかい?お湯にトマトを入れた後水で冷やすと皮が綺麗にむけるんだよ。試してご覧。それじゃあ毎度あり〜。また来てよ。」 悪い印象の店ではないが、あの勢いには少々疲れるものがある。 「あかねは今、何をしているんだろうね。」 そう呟いて空を見上げるとすっかり濃くなった闇に星が瞬いていた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− アパートのドアを開けて、友雅は薄暗い部屋の電気をつけた。 荷物を置いて一息つこうとコーヒーをいれる準備をする。いつもは豆から挽いているが今日はそんな気にはならずインスタントでいいかとヤカンを火にかける。湯ができるまでの間、しばらくコンロの前に立っていると一人でいることが余計に強調されているような気がして、自分はこんなにも寂しがりだったのかと苦笑する。 京にいるころはこんなふうに誰かを恋しく思うことなどなかったのに。そんな自分に情熱の火をともしてくれたのは彼女。なにものにも変えがたい、友雅の只一つの桃源郷の月。窓を見ると綺麗な月が光っていた。 この月をあかねも見ているだろうか。 そうこう考えているうちにヤカンが沸騰したことを知らせてきた。カップに注ごうとしたとき、ふと、あの青果店の女性の言葉を思い出す。 「そういえば、トマトは湯剥きにするのだったね。」 そう思うとコーヒーを作るのをやめて鍋を取り出し、そこに湯を注ぐ。部屋からトマトを持ってくると二つともその中に入れた。 「どのくらい入れればいいのだろうか…。」 茹でることが目的ではないのだから、それほど長い時間はいれないだろう。その間にヤカンに残った湯でコーヒーを入れ、一息ついた後、今度は水を入れたボールにトマトを移してそのまま部屋の中へ持って行った。 テレビを付けたがくだらない番組しかやっておらず直ぐに消すと、つける前以上の静寂。あまり美味しくないコーヒーを一口飲んで、友雅はトマトの湯剥きに取り掛かる。 ボールの中のトマトを見ると、湯に通したおかげでより一層赤みを増していて、照れた時のあかねのほほのようだと思う。水の中から取り出すと、まだほんのり暖かいそれの表面を、水滴が滑らかな曲線を描いて滑り降りて行く。軽く指でつつくと程良い張りと弾力が心地よく返ってきて 「なるほど、言うだけのことはあるね。」 あの青果店の仕入れは確かなのだろう。 爪でプチッと天辺の皮を破り、そこを基点に薄く皮を剥いていく。 「麗しのトマト姫の身を食すことを、許していただけるかな。」 などと独り言を言ってからカプリとその頂きに歯を立てる。その瞬間、友雅の目は驚きに見開かれその動きがピタリと止まってしまう。 これは果たしてトマトなのだろうか。これほどまでに甘く、しかし程良い酸味があり口のなかで弾ける果肉とそれを包み込む汁。 これをトマトと呼ぶならば、今まで自分が食べてきたトマトは全てまやかしだったとしか思えない。 高鳴る鼓動を押さえつつ、残りを勢い良く食べ終ると二つ目の皮を剥き始める。半分ほど剥いたところでふと気が付くと、力を入れすぎたせいだろうか、トマトを持っているほうの親指がその身にめり込んでしまっている。しまったと思い引き抜こうとしたが、ふと、その感触が何かににている気がして動きを止めた。 「まるであかねの膣内(なか)のようだね。」 自分でそう言うと、途端に身体の奥がドクンとうずいてしまう。 「私はそこまで欲求不満なのかねぇ。」 そう苦笑するとチュプッという音と共にトマトから親指を引き抜く。すると空いた穴から薄赤い汁が溢れてきて、ヘタの先端で雫を作った。 流れ出す汁が顎を伝い、胸元を滑り降りて、また腕から肘を伝って白いシャツを赤く染め始めるが、友雅は一向に気にしない。 空いている方の手でベルトを緩め、猛る自身を取り出し一擦りするとその心地良さにブルッと身体が震える。暫く指で上下に擦っていると先から透明な液が出てきて友雅の指の動きを助け、さらに液は溢れ出し止まるところを知らないかのように思える。 静かな部屋に響く二つの水音に否が応でも意識が集中し、それがまた友雅の神経を逆なでして興奮を誘う。 そろそろ限界が近くなったと感じ、友雅は今までむさぼりついていたトマトから口を放す。と、名残惜しげに銀の糸が伝った。その糸をいとおしげに見つめると、少し緊張した面持ちで自身にトマトを数回擦り寄せ、少しずつその身に埋め込んでいく。 「ふ……っ…」 さすがに女性と交わるときのような快感は得られないが、そのいつもとは違う感覚に違う部分が刺激されて妙な気分になる。 嫌われてしまうかもしれない。 もう二度と会ってくれないかもしれない。 それでも今している行為を止めることはできなかった。 「あかね…」 ふいに、愛しい人の名前が口からこぼれでた。 「あかね…あかね…」 その名を呼ぶたびに高ぶりが激しくなっていく。 「……っあか…ねっ!!」 自分の手で袋を揉みしだいたのと、先端をトマトが押し潰したのとが同時に襲い、友雅は自身から白濁した液を吐き出すとそのままベッドに倒れ込み、深い眠りに着いた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 小鳥のさえずる声で目が覚めると、時計の時刻は朝の6時を指していた。友雅はけだるげに体を起こすと机の上の冷たいコーヒーを一口飲み、昨夜の自分を思い返す。 「昨夜はどうかしていたようだね…。全く。私としたことが…。」 差し込む朝日と共に昨夜の自分も浄化されてしまえばいいのにとまで思ってしまう。 シャワーから出た後、友雅は汚れた服と片付けたトマトその他をごみ袋に放り込む。金属扉を開けて外にでると、朝の清々しい空気が身体に染み込んできた。ごみ捨て場に袋を投げ入れ、パンパンっと手を叩くと、ようやく安心できた気がする。 友雅が部屋に戻ろうとしたとき、通りの向こうから小さい影が走って来るのが見えた。 「……あかね?」 まさか、そんなはずはない。彼女が今ここに居る訳がない。 「あ、友雅さん。おはようございま〜す!」 と聞き慣れた元気のいい声が響いてきた。紛れもなく本物のあかねと分かって友雅は驚きに目を丸める。 「どうしたんだい?今君は旅行中なのでは?」 そう。家族で旅行に行くから今週末は一緒にいられないと言っていたのに。 「やっぱり、友雅さんに会えないのが寂しくて朝一で帰って来ちゃったんです。」 なんとも可愛らしいことを言ってくれる。と友雅は喜びに目を細めた。 「嬉しいね。私も君に会えない寂しさに胸が潰れる想いだったのだよ。」 正しくはトマトを潰す想いだった訳だが。 「さ、外はまだ寒いから部屋で話そうか。」 そう言うと二人は寄り添ってアパートへと戻る。お茶を入れようと茶葉を探しているあかねを愛おしげに見つめていると、大事そうに抱えている紙袋が目に入った。 「あかね。その紙袋はなんだい?」 するとあかねはへへへ〜とばかりに笑って 「友雅さんにお土産です!急に帰って来ちゃったから郷土品とかは無理だったんですけど、代わりにとっても凄いのを持ってきたんです。友雅さん、絶対驚きますよ!」 えへん!とばかりに胸を張ると桜色の髪がふわりと揺れた。 「あ。信じてませんね。本当にびっくりするんだから!」 ガサガサと紙袋を開け袋の中を覗き込んだ瞬間…友雅の体がビシッという音と共に凍りついた。 「一見普通に見えるでしょ。でもそれ、作ってる数が凄く少なくて地元の人でも滅多に見ることができないそうなんです。なのに今回すっごい偶然で貰うことが出来たんですよ!しかも朝一番の奴を!」 興奮気味に話すあかねに、友雅はギギィっと顔をむけると、ぎこちない仕草で近付き紙袋を持っていない方の腕でその体をフワリと抱き寄せる。 「ありがとう。あかね。とても嬉しいよ。」 その声は僅かばかり硬かったが、耳元で囁かれたあかねはそれに気付くどころではなく、顔が一瞬で朱に染まる。 「え、えと。喜んで貰えて、私も嬉しいです。」 友雅は紙袋を近くの台の上に置き、今度は両腕でしっかりとあかねを抱き締めるとさらに耳に唇を近付けて 「ところで。私に会えなくて寂しかったのは心だけなのかな?」 と艶を含めた声で囁く。その言葉の意味を察したあかねの顔が、ボンッ!と音が出るくらいの勢いで赤くなった。 「私は寂しかったよ。手を伸ばしても触れることすら敵わず、何処を見ても姿を捕えることが出来ない。いくら君の名を呼んでも返事は聞こえないし、夜眠る時も、朝起きた時も、この腕の中に君の温もりがなかったのだから。」 そう言いながらも友雅の手はあかねの身体の上を、妖しく動き始める。 「友雅…さっ…!」 熱くなり始めた身体を止めることが出来ず、あかねの口からせつなげな吐息が漏れ出した。友雅はその桜色に輝く唇をを己の唇で塞ぎ、激しく口付ける。 「だから……ね?」 互いを繋ぐ銀の糸を残し、情欲に濡れた目で見つめながら友雅が呟くと、すでにとろんとした目のあかねが力なく頷く。
|